共和町は、岩内を取り囲むように位置して、とても広い面積を持っています。共和町の歴史も、小沢村、前田村、発足村が合併して共和村になり、1971年に共和町へとなりました。
岩内町のように面積が狭い場所での合併と違い、共和町は農業の町なので、畑、田んぼが広がっているのです。となると、子供たちが通う小学校、中学校も歩いて通える(とはいえ2kくらいの距離は当たり前)場所に小さな学校が点在していました。
写真は、その点在していた西老古美小学校跡に建てられた石碑です。共和町には、昔の小学校跡地にこのような石碑が必ず建っています。下のプレートには、その小学校の歴史が刻まれているので、興味がある方は是非、探索してみるといいと思います。
ランニングでいろいろ走っていると、えっ、こんな場所に小学校があったの?なんてところにもこの石碑を発見することがあるのです。建物が取り壊されてなくなっているところがほとんどですが、ちっちゃな教室とちっちゃな体育館、そこには戦後に一生懸命に生きた子供たちと先生の人生を感じ取れます。
岩高にも共和小学校の卒業生がたくさんきていたと思います。
共和の大地で育った農作物のように共和小学校出身の子供たちもすくすくと育って、そしてそれぞれの道をたくましく確実に歩いていっているのでしょうね。
それぞれの道がどのようなものかは、山川さん、岩内に来てみなさんの人生を聞いてくださいね。
西老古美小学校には思い出があります。
私は高台小学校出身で1年生初めての遠足が西老古美小学校
でした。・・・・遠かった記憶があります。
高校生(岩校)の時、友人のお父さんが同小学校の校長先生で
校舎内に住宅があり体育館でよく遊んだものでした。
私の年代になると卒業した学校、校舎は一つも残っていません。
高校は2年生で火災、3年生卒業間近かで仮校舎も火災、
卒業式は公民館でした。 通った学校が残っている方が
羨ましい・・・でも記憶は鮮明ですよ・・・
もとiwanaibitoさん、お久ぶりです。
定期購読照れていましたか?
今でも西老古美小学校の体育館っぽい建物はありますよ。
もとiwanaibitoさんは、とてもいい思い出をお持ちですね。
学び舎がなくなるのは、確かにさみしいものですが、それは仕方のないこと。
大切な事は、それぞれの卒業生が思い出として、心に残る事だと思います。
統廃合の問題で、確かに卒業した建物がなくなるのはさみしいかもしれませんが、
今の子供たちにとって、学校がどうあるべきかを最優先に考えてあげるべきと私は思っています。