58年前、岩内町大火の日

 昭和29年(1954年)9月26日、岩内町の約3分の2が消失した大火のお話は、このブログでも何度か出ていますが、今日でその日から58年になります。

 同じ台風15号による災害、津軽海峡を結ぶ青函連絡船洞爺丸の転覆事故があまりにも大きなニュースだったために、岩内の大火は小さく報道されるだけでした。そのため、岩内以外に住む人の記憶には、薄いものだったようです。

 写真は、小学生が社会学習の資料として使う 『わたしたちの町 いわない』 の中に、岩内の大火の事を書いてあるページの一部です。上段の写真は焼ける前の風景。下段は焼けてしまった跡の風景です。

 今日は消防の訓練も特別に行われます。毎度、言わせていただきますが、『災害は忘れたころにやってくる』。過去の教訓をこれからも伝えていかなくてはなりません。

58年前、岩内町大火の日」への6件のフィードバック

  1. ささき

    岩内大火は、私が4歳の時でした。
    現在私が住んでいる家(宮園町)から見えた空は
    炎で赤く染まっていました。出来事が強烈だっただけに
    その記憶が今でも残っています。

    あれから58年もたったんですね~

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    1. 北のお魚大使

      4歳の記憶が残っているのですから、すごいことだったのでしょう。
      それにしても、その災害からよくぞ岩内町は復興したという事。
      それが岩内気質。忘れてはいけませんね。

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  2. もとiwanaibito

    大火から58年ですか・・・私も ささき さんと同じ4歳でした。
    現在の郵便局の近くに住んでいて街の通りが火の川のようになって
    いたのを、震えて見ていました。  翌日は晴天で焼け野原の中に
    石倉が残ってたのを記憶してます。  旧 西、東小学校に
    たくさんの人達が非難していました。    後に西小学校南側
    に露店がたくさん出来ていました。 岩内人のエネルギーは
    すごいですね・・・・

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    1. 北のお魚大使

      もとiwanaibitoさん、やはり大火は幼い脳裏に焼きつくほどの、すさまじい状態でったのですね。
      翌日の晴天というのは、台風一過の状態だったわけですね。
      屋根のある場所に避難できた人はまだよくて、軒下で寝ていた人もたくさんいたと聞いた事があります。
      岩内人の気質、私にそのエネルギーがあるかどうかはわかりませんが、
      精一杯の生き方をしたいと思います。

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  3. 山川貴子

    火災を経験した父より火の恐ろしさのことは聞かされていて、何よりも火事が一番怖く感じます。
    当時被害にあった人たちが一致団結して頑張ったから今の岩内町があるのですね。その日を忘れずに、その人たちの気質を受け継ごうと頑張っている人たちは素敵ですね。

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    1. 北のお魚大使

      山川さん、災害での辛いことは、経験した人にとっては、忘れたい事でしょうが、教訓として残すことは大切ですね。
      震災から復興をしている地域の人たちも今頑張って生きています。
      自虐的にならずに、前向きに生きている人がたくさんいる姿を見ると、ほんとにすごいなと感じますね。

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