小沢駅、ここが旧岩内線ホーム跡の標柱

 平成24年10月12日の北海道新聞後志版にてJR小沢駅に「旧国鉄岩内線一番ホーム跡地」と書かれた標柱を、共和町出身の笠井誠さん(66)が、JR倶知安駅長らの立ち会いのもと、自費で立てたと書かれてありました。

 いつも、私のブログで取り上げる話題のほうが、道新さんより早いのですが、今回は記事を読んで「先を越された」と思ってしまいました。先日の7日に札幌マラソンに行く時に小沢駅を利用したのですが、その時にあれっ?こんなの建っていたかな?と思いながら携帯カメラで撮影しました。

 この小沢駅から岩内まで伸びる国鉄岩内線は1912年開業。今年でちょうど100年になります。廃止になったのは、1985年ですから、27年前です。多くの人がこの岩内線の汽車に乗りながら、いろいろな思い出があるはず。笠井さんは、そんな皆さんの思い出を残すために、この標柱を立てたのでしょう。

 今は無人駅で、この写真の場所には自由に行く事ができます。当時の駅舎もなくなり、今は小さな待合所があります。岩内線の線路はなくなっていますが、ホームの面影は残っています。ちよっとお立ち寄りいただいて、昔を懐かしんでいただけると、標柱を立てた笠井さんも喜ばれると思います。

小沢駅、ここが旧岩内線ホーム跡の標柱」への19件のフィードバック

  1. 山川貴子

    多くの方がJR岩内駅の思い出を共有しているのですね。
    岩高には他の町から通っていた人もたくさんいましたので彼らの思いはとても強いことと思います。

    返信
  2. もとiwanaibito

    SLの時代、小学校1年生の頃だったと思いますが両親と札幌へ
    行くのに小沢駅で岩内線から函館本線に乗換 札幌へ向かって
    出発、今来た岩内方向へ動き出し札幌へ行けないのではと思った
    ことがありました。
    私にとっては小沢駅=トンネル餅・・・標柱見に行きます。

    返信
  3. 北のお魚大使

    山川さん、汽車が到着する時間、寿都方面、神恵内方面、共和方面からのバスが、通学時間に合わせて到着するので、アスパラの坂(協会病院の坂)は人がつながって歩いていましたね。

    もとiwanaibitoさん、お久しぶりです。
    岩内に戻るような感じ、よくわかります。私もそんな風に感じながら、汽車の窓にへばりついて、外の風景をずっと見ていました。
    トンネル餅、当時は小沢駅のすぐ前にあった小さなお店で売っていたんですよね。そこには宿もあったような記憶があります。

    返信
  4. rikichan

    小沢駅をこよなく愛してる方を知っています。栃木に住んでいる方なのですが何度も訪れてホームで寝泊まりした事もあったそうです。退職なさった方が描いた絵が飾ってありますね、とっても好きだと仰っていました。

    函館本線の海線、山線を語ったら朝まで続くかも。

    返信
    1. 北のお魚大使

      rikichanさん、まずは先日初めてお話させていただき、ありがとうございました。
      今度はゆっくり同じテーブルでお話させていただけたらと思います。

      小沢駅のホームを渡る階段のところに、2枚の絵が飾ってあります。写真は撮ってあるので、いつかご紹介しますが、その絵には「小沢駅職員一同」と書かれてあります。誰が描いたかはわかりませんが、都会にはないとてもいい雰囲気が出ています。
      職員一同って、何人くらいいたのでしょうね?

      函館本線オタクなのですか?

      返信
  5. rikichan

    おはようございます
    私もお目に掛かることが出来て本当に嬉しかったです
    奥様ともお話が出来て楽しい時間を提供してくれた友人に感謝です

    栃木の友人はオタク?までは行かないと思いますが
    独身時代から函館本線のルートをバイクで走り特にこの小沢駅には特別の
    思い入れがあるようです
    写真も撮られる方なんですよ
    今はお忙しいようなので連絡などは殆取れていませんが・・・

    〉職員一同って、何人くらいいたのでしょうね
    そうですね~何人いたのでしょう
    当時の小沢駅は子供心にも「大きい駅だなぁ」という記憶があります

    小学校低学年の時、町内旅行に連れて行ってもらい
    小沢駅からの車内で「美空ひばり」の歌を乗客の前で歌った思い出があります
    恥ずかしさも知らずに(笑)

    ご褒美に子供のお小遣いとしては高額な「50円」貰いました

    返信
    1. 北のお魚大使

      rikichanさん、
      小沢駅は薄暗かったけど、木造りで真中にストーブがあったような、うっすらとした記憶があります。
      昔の駅って、ほんとに多くの思い出を皆さんに残しているのですね。

      返信
  6. 山崎 徹

    「とまりん館」に近い原子力環境センターの辺りには、昭和20~30年代 茅沼炭鉱鉄道の発足駅があり、兄達は索道で運ばれてきた石炭と共に岩内高校に炭鉱鉄道(当然SL)で通学していました。札幌に行く際には、岩内駅と小沢駅での乗り換えとなります。このSLが掘株川鉄橋を渡る時は非常にゆっくりで怖かった記憶があります。両親兄弟が次々欠けて逝き、炭鉱も鉄道も廃されているととても寂しいですね。
    昨年、久しぶりに岩内町や共和町を訪れ、小沢駅にも行ってきました。
     ところで、昭和29年の岩内大火は現共和町宮丘の中腹にあった炭住から見ました。当時7歳でしたが、烈風と眼下の火災への恐怖は忘れられません。

    返信
    1. 北のお魚大使

      山崎さん、お初の書き込みでしょうか? 
      貴重な昔のお話をありがとうございます。
      茅沼炭鉱鉄道、どんな様子か見られるものなら写真を見てみたいですね。
      発足駅があったとは、初めて聞きました。
      その鉄道は石炭だけでなく、人も乗ることができたのですか。
      時代が変わり、古いものがなくなってしまうのは寂しいですね。
      失礼ながら、山崎さんの世代でこうしてPCを使っていらっしゃる方は珍しいのではないでしょうか。
      気が向いたときでいいので、昔の事をまた教えていただけたら、ありがたく思います。

      返信
  7. 山崎 徹

    会社での昼休みにこのブログを発見?し、懐かしさのあまり生まれて初めてパソコンに向かってコメントしてしまいました。申し訳ございません。今私は東京郊外の八王子に住んでいますが、道南に転校する中学2年までは共和町に住み、とっくに廃校になった発足第一小学校・中学校に通いました。(ブログにありましたように碑がありますね)
     茅沼炭鉱は北海道で最も古い炭鉱でしたし、軌道も歴史的なもののようですから一度検索してみて下さい。私も最近知ったばかりですが・・・。
    発足(ハッタリ)駅は、環境センター向かい側にあるコンビニの位置にありましたよ。策道で運ばれてくる石炭を下ろす建物など結構大掛かりな施設もあり大勢働いていました。
    かすかな記憶ですけれど、炭鉱鉄道には小さな客車が1両、これに屋根付貨車が1・2両、そして石炭を運ぶ無蓋車が沢山あったと思います。
    たまに混雑したときには、通学する兄達は貨物車に乗せられたと言っておりました。
    この茅沼炭鉱鉄道で使われていたSLを最近発見しました。堀株川の鉄橋が落ちて廃線になり、蒸気機関車2台は寿都鉄道に引き取られていたのです。
    「寿都鉄道」あるいは「蒸気機関車8100シリーズ」などで検索すると経緯や
    写真を見ることが出来ます。
     くどくど書いておりますが、私も引退目前の65歳になり時間に余裕が出来たこともあって、私達家族の故郷のことをもっと知りたいと調べ始めたのです。
     小沢駅、岩内駅、岩内町の移転前からの小林書店、イセヤさん、今はありませんが甘いものの和田さん食堂、マルサン食堂のラーメン(閉店しましたね)、洋画専門の双葉座・・・想い出は限りありません。
     ブログを楽しみにしております。長文 申し訳ありませんでした。

    返信
    1. 北のお魚大使

      山崎さん、昔のお話、大変感謝申し上げます。
      山崎さんのように、昔岩内または周辺に住んでいて、昔を懐かしんでいらっしゃる方は、私が想像していたよりもたくさんの方がいるようです。
      岩内は大火で写真などが消失して、歴史を語るものが少ないと思います。
      それゆえ、残された写真、資料などは貴重なものだと思います。
      石碑で残す事も大切かもしれませんが、みなさん個人個人が心に残っている記憶こそが、私たちの貴重な遺産だと思います。
      それらを残す場所が、今まではありませんでしたが、私はこのブログを通して、みなさんの記憶をつなげる事ができれば、少しは岩内町の歴史の保存にお役に立てるのではと考えています。

      どうか、またこのブログをご覧になって、記憶の一片でも開くことがありましたら、遠慮なく長文大歓迎ですので、ご記録ください。

      キーボードをたたきながら、子供時代の楽しい風景を思い出されていることが、行間からじわじわと感じられました。
      ありがとうございます。

      返信
  8. 橋本

    はじめまして、失礼します。
    私も14日に標柱を見にいきました。
    小沢駅はお盆の時期に岩内へ墓参りに
    来る度によってましたが、今年はこの
    標柱を見るのが楽しみでした。
    感動しました。
    私は現在40歳ですが、幼稚園の頃に
    叔母に連れられて岩内に住んでいる祖父祖母に
    会いに岩内線に乗ったことを何となく覚えています。
    私は廃線巡りが趣味ですが、小沢駅から少し進んだ先の
    国富跨線橋から見える岩内線の線路跡が私の絶景ポイントです。
    小沢駅からカーブして跨線橋の下を潜る列車を想像すると
    国鉄時代に生まれたかったと思ってしまいます。

    返信
    1. 北のお魚大使

      橋本さん、はじめまして。
      書き込み、ありがとうございます。
      この標柱を見て、感動を覚えるとは、かなりの凝った方のようですね。
      廃線巡りが趣味ということならば、すでにご存じかもしれませんが、情報をひとつ。
      岩内線跡地を利用し、現在岩内共和道路というものが作られています。
      共和中学校まではすでに着手済みで、今後、国富、小沢方面はどうなるかわかりません。

      廃線の魅力とは橋本さんにとって何なのでしょう?
      今までも、この岩内線の話題には多くの人が共感を持って書き込みをしてくれています。
      それは、その人の思い出があふれんばかりに詰まっている存在だからだと思います。
      跨線橋の下を潜る列車を想像するとき、汽車の中にはさまざまな人生を乗せて走っている事を思っていただけると、
      もっと感動が広がるかもしれませんね。

      ありがとうございました。

      返信
  9. 橋本

    こんばんは、橋本でございます。
    お返事をいただきましてありがとうございます。

    岩内共和道路ですよね。はい、去年の墓参りで来た時に
    もう一度西前田駅のホームを見に行きましたらすでに
    ホームが撤去されていて残念でした。
    その時にホーム跡に大量の石の山があり、もしかしたら
    この中にホームの鉄柵が埋まっているのかな?と変な妄想を
    しておりました・・・

    そうですね、廃線の魅力ですよね。
    私にとっては、「宝探し」です!
    岩内線の国富駅、前田駅の石のホーム跡を見つけた時や
    西前田駅のホームもそうですし、
    旧千歳線・万字線・幌内線・松前線・瀬棚線・胆振線・
    羽幌線・夕張鉄道・定山渓鉄道、そして今月のはじめには
    今秋に取り壊されてリニューアルする幸福駅含め広尾線と
    今まで巡ってきましたが、どの路線にも当時がそのまま
    残っているものを探すことができた時の嬉しさがたまりません。
    そして探すことができた「宝」を眺めながら、SLや国鉄車両が
    走っていたことを妄想します。
    そういう意味では、国富駅の石のホーム跡だけでも、そのまま
    そっとしていただけるのを切に願っております。

    長々と失礼いたしました。

    返信
    1. 北のお魚大使

      小沢駅の話題が、こんなにたくさんの書き込みをしていただけるとは、びっくりです。
      西前田は当時も無人駅で、遊びで下車したら切符をどうしたらよいかわからず、
      車掌さんが窓から、「お~い、こっちだ」と呼ばれて、渡したという記憶があります。

      廃線の魅力は宝探しですか。
      人にとって、何が宝なのかは、個人の価値観によってさまざまですね。
      そのわくわくする感じ、理解できますよ。
      是非また岩内線の宝探しに、いらしてください。

      返信
  10. 風旅記

    こんばんは。
    以前の記事へのコメントにて失礼致します。
    小沢駅、峠にあり、岩内線も分岐していて、往時にはさぞかし活気のあったのではないでしょうか。
    それまで訪ねたことのなかった函館山線の列車に乗り、小沢駅に降りたことがあります。
    まだ雪の残る季節で岩内線などの痕跡は分かりませんでしたが、待合室だけになった、小さくなってしまった駅に時間を過ごしました。
    駅近くの商店でトンネル餅を買い求めたのもいい思い出です。
    跨線橋が新しいものに架け替えられたと、他の記事で初めて知りました。
    古き良きものは少しずつ失われていきますが、それも含めて鉄道を楽しみたいものです。
    記事、楽しませて頂きました。
    今後とも、宜しくお願い致します。
    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

    返信
    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      風旅記さん、初めまして。
      いろいろと鉄道の旅を楽しまれているようですね。
      小沢駅に降りるとは、違う目的ではなく、駅そのものが目的だったということでしょうか。
      今のこの小さくなってしまった駅舎ではなく、岩内線がまた存在していた時の小沢駅を見ていただきたかったですね。
      小沢駅とトンネル餅は旅人にとっては、ワンセット。

      そうそう、今の小さな駅舎の中に、旅人用のノートが置いてあります。
      いろいろな皆さんの旅と人生がつづられていて、それを読んでいるだけで時間が過ぎ去ってしまいます。
      風旅記さんももしかしてそのノートに何か書かれたのでしょうか?

      北海道新幹線の開業とともに、夜行列車が姿を消しますね。
      風旅記さんにとっても、寂しくなる話題だと思います。

      返信
  11. どぶろく

    はじめまして
    『岩内高校同窓会』検索で御ブログヒット以来いつも楽しく拝見しております。
    岩内で産まれ、今は札幌に住み暮らす岩高の後輩であります。
    私は古いモノゴトに惹かれるたちで、懐かしい写真や八王子山崎さんの茅沼炭鉱鉄道の話などとても興味深く読ませて頂きました。

    風旅記さんの「小沢駅・・跨線橋・・架け替え・・・」のコメントに衝撃を受け、昨日後志方面仕事のついでに確認して来ました。
    安心して下さい。跨線橋・・・往時のまま”どっしりと在りました。
    恐らく鉄鋼製(古レール)の柱・梁を塗装し直したので勘違いされたのかもしれないですね。
    新しい塗装は緑色なのですが、以前の札幌テレビ塔・・テレビ父さんの腹巻き的な色調で、私としてはもう少し渋い色の方が似合うような気がしました。
    詳しい方の記事には「・・1897年 ウニオン ドルトムント・・」と刻印された開拓使時代の古レールも使われているようなので歴史的価値はかなり高いと思います。
    上手に保存して行けたら素晴らしいですね。

    返信
    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      どぶろくさん、はじめまして。
      コメントありがとうございます。また私のブログの定期愛読者だったのですね、嬉しいです。
      この話題は、不思議と時を越えてコメントが増えていきます。
      みなさん、それだけ昔の事を懐かしむにはこの岩内線は切っても切れないものなのでしょう。

      どぶろくさんは古いものにとても詳しいようですが、
      もちろん岩内の郷土館には足を運ばれた事はありますよね。
      館長さんをはじめとするスタッフのみなさんが、企画展などを催しがんばっています。
      岩内のお越しの際は、ぜひ郷土館に足をお運びになられて、館長さんと雑談される事をお勧めします。

      また私の他愛無い話題に何か思うことがありましたら、遠慮なくコメントをお書きください。
      ありがとうございました。

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です