バブル崩壊の見せしめになった北海道拓殖銀行。現在は北洋銀行に変わりましたが、“たくぎん”と呼ばれていたのを知っているのは、私たちの世代では当たり前ですが、平成生まれの子供たちが大人になる頃には、なにそれ?と言われる日が来るかもしれません。
岩内の20世紀写真集からの写真をシリーズで紹介していますが、今回は大正時代の拓銀岩内支店です。でも、この写真の拓銀が建っていた場所はどこなのでしょう?ちょっと写真が古すぎてこのブログの読者のみなさんにも分からないかもしれません。
今は北洋銀行になって岩内町にある場所は、森嶋商店の向かい。岩内の商店街の中心点ですね。明治の後半に銀行がたくさん支店や出張所を開設したとありますから、ニシン漁で栄えたこの町が、いかに活気があったかという事でしょう。
昔、岩内の銀行に勤めていて、今は都会で生活している人もたくさんいるでしょうね。もしも、そんな方がたまたまこのブログを読んでくださったら、たまには岩内に来られて、昔を懐かしんでいただけたらと思います。もちろん、弊社にもお立ち寄りください。
昨年帰国して札幌地下を歩いていた時に元拓銀本店の金庫の扉が飾られているのをみました。
札幌に住んでいた頃に拓銀は都市銀行としてトップの座にいたのでそれを見て時代の流れを感じ少し寂しい気がしました。
物事に変化はつきものとは思っていてもなかなかついて行かれない時が多いです。
確かにあの拓銀さんがなくなったのは、びっくりですよね。
一番びっくりしていたのは、実は拓銀さんで働いていた人たちだったと思います。
あの本店も今は北洋銀行本店となって、立派なビルに生まれ変わりました。
私にとって、変化してしまって残念と思う時は、自然の風景が消えてしまったのを見た時です。
銀行がつぶれるなんて想像もしていなかったので拓銀が破たんした時は本当にショックでした・・・
高校時代のクラスメートも勤めていたので拓銀→北洋と呼ぶには時間がかかりました
義兄も元銀行マン、お会いしたら話に花が咲くでしょうね~
拓銀がなくなったのを見て、初めてこれからの世の中は、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなると実感しました。
やはり、読者のみなさんにとって、この写真は古すぎで、拓銀破たんの話題になってしまいますね。