岩内共和道路工事中

 岩内町から小樽方面に行く時に通る道は、国道276号線。他に国道229号線で共和町の発足(はったり)まで行き、右折して共和中学校で276号に合流するというルートも使う人もいます。

 そのちょうど中間に、岩内共和道路という自動車専用道路がつくられています。現在札幌から小樽まで伸びている高速道路が、今後余市まで伸び、それから黒松内まで伸びるのを見越して、共和町国富まで岩内からの道路を先に作ってしまえということです。

 昔の国鉄線路跡地を利用したルートになるようです。写真は岩内へ入る場所で、自動車学校の前になります。現在の229号線に平行して作られています。どのような接続方法になるかは私は分かりません。

 いずれにせよ、この道ができれば少し札幌に行く時間が短縮されることでしょう。真冬の地吹雪で前が見えなくなるのはしょっちゅうですが、防風林で対策を取るようですよ。完成するのはもう少しかかるようです。

岩内共和道路工事中」への6件のフィードバック

  1. rikichan

    自動車学校の方でこんな工事が行われているのですか?
    最近は殆ど泊方面走っていないので知りませんでした

    峠越えが無ければ冬でもゆっくり走って小樽まで行きたいのですが
    年々冬の運転が怖くて・・・

    独身時代は札幌まで行ってたんですけどね~

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    1. 北のお魚大使

      rikichanさん、車で走らないと、分からないですね。
      私も「あれっ?いつの間に?」という感じでしたよ。

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  2. 山崎 徹

     いつも最新の故郷岩内の現況などをお知らせ頂きありがとうございます。
    この写真の左側が岩内自動車学校かと思います。しつこいのですが、茅沼炭鉱鉄道と「国鉄」岩内線は、岩内駅からこの学校を過ぎた所にある大和建設運輸さん辺りまで並行して走り、この辺りで岩内線は約90度右カーブ、茅沼炭鉱鉄道は少し左(海)側に振って走行しました。(航空写真では今でも
    線路跡地が緑の線になっています。)
    昨年訪れた際、旧岩内駅跡に出来た(少し移動した)中央バスセンターから共和町方向に歩いて行くと、並行した道路の間に花や野菜が植えられていました。(ブログにありましたね)その両側が舗装道路になっておりますが、多分、海側道路が茅沼炭鉱鉄道跡地、山側が岩内線跡地と思います。
     自動車学校の手前に「梨野無内」(誤字かもしれません。元来「リヤムナイ」というアイヌ語です)という標識が立っている道路分岐場所が有りますけれど、そこは昔踏み切りがあった場所で、中央バスの車掌さんが必ず降りて安全確認をしていました。
     今の時代にはワンマンですし有り得ませんが、若い車掌さんが走っていって振り返り、白手袋を美しく振って「オーライ!」と言っていた姿が懐かしいですね。
    砂利道のソロバン道路でしたから、お祭り時など超満員で、中に入れずドアに摑まっていた車掌さんが走行中に落下して怪我をしたこともあったようです。それこそ今なら大変なことですが、戦後復興期でもあり、数十年前のことですから勘弁です。子供でしたが、大人達が皆必死で生きていることは感じました。
     ちなみに、掲載頂いた写真の奥に見える山の裾野が私の住んでいた辺りです。父は農業試験場勤務でしたが茅沼炭鉱の炭住で暮らしました。
     

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    1. 北のお魚大使

      山崎さん、詳細な解説をありがとうございました。
      岩内線と茅沼炭鉱鉄道が、同時期にあったとはつい最近知りました。
      その資料も手に入ったので、おいおいその辺もご紹介していきます。

      リヤムナイは「梨野舞納」と書きます。その踏切、覚えていますよ。そうですか、ワンマンになる前の車掌さんは、黒い鞄を持って、乗車券をパチンパチンと切っていましたね。

      山の風景で昔の場所がわかるというのは、素晴らしい。自然とともに生きた場所ですものね。みなさん、そんな思い出をとても大切にしていらっしゃる。故郷という場所が、「いい思い出」とともに、これからも「いい場所」として残さねばいけないですね。

      素敵な思い出話をありがとうございました。

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  3. 山崎 徹

    「梨野舞納」ご指摘ありがとうございます。野に舞いを奉納と美しいですね。茅沼炭鉱鉄道についてもお調べ頂いたようで感謝です。
    SLが競争みたいに途中まで並行して走り、小沢行きの岩内線が右にカーブして行くと、あっちに乗っておじいさんの住む札幌にいきたいなー なんて思ったことがつい最近に思えます。

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    1. 北のお魚大使

      列車が2本平行して走っていたなんて、この今の岩内では想像がつきませんね。
      でも、それだけ活況があって、人もたくさんいた時代なのでしょう。
      山崎さんのコメントをいただくまで、茅沼炭鉱鉄道のことは、それほど気になっていませんでした。
      ありがとうございました。

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