岩内の20世紀写真集から~馬そり

 街中を馬が荷物を運んでいた風景を覚えている方は、何歳くらいまでの方でしょうか?私は50歳ですが、子供の頃に家の前を馬が下を向きながら荷物を引っ張っていたのをしっかり記憶しています。友人の家が馬を飼っていて、それで運送をしていました。

 写真は浜に水揚げされるスケトウダラを運ぶ馬そりです。冬はそりで、夏はタイヤをつけて運んでいました。家の前を通ると、シャリンシャリンと首輪の音を鳴らしながら、ゆっくりと運んでいたのです。

 ちょっと可哀想に思いましたが、その足は競馬のサラブレットとは全く違い、太く力強さを感じさせます。ポタッポタッと黄色い草の繊維でできたフンを落としていき、運動会の前になると、馬のフンを踏めば速く走れるなんて事を言われたものです。

 時代は流れ、馬からトラックへと輸送方法が変化していきました。馬を飼って運送をしていた人たちは、トラックを購入し、○○運輸などという会社となりました。忘れてはならないのは、昭和29年の大火で、この馬たちも多くの被害を受けました。

 

岩内の20世紀写真集から~馬そり」への8件のフィードバック

  1. 山川貴子

    岩内ではスケトウダラを運ぶ馬そりとして活躍されていたのですね。
    長年にわたって岩内の人たちの生活を支えるパートナーであった馬が大火の被害にあっていたと聞くのはすごく辛いです。

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    1. 北のお魚大使

      岩内町には、阿弥陀寺というお寺あり、その境内に馬頭観音という石碑があります。
      私はよく理解していないのですが、仕事で活躍した馬や災害で亡くなった馬達の供養をするためだと思います。

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  2. もとiwanaibito

    我が家の近所でも馬を飼っていたところが数件ありました。  
    農作業や運送をしていたと記憶しています。
    家の近く、上田酒店の向かいに獣医さんがあり また数件並び
    に馬蹄を取扱っているところがあったので いつも馬が数頭
    電柱につながれていましたね。 昭和35~40年頃かな?

    ギンザ通りには馬具を扱っている店も数件ありました。
    小学校の行き帰り馬車の後ろからこっそり馬車にぶら下がり
    馬主さんに怒られたのも・・・良い思い出です。   
    専務さんは、そんな悪いことはしませんでしたか、

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    1. 北のお魚大使

      獣医さんの記憶はありませんが、馬蹄を取り扱っていたお店は、うっすらとあったような記憶があります。
      上田酒店の向かいと言えば、くじ屋さんがありましたね。
      仮面ライダースナックが大ブームになったとき、そのお店はカードだけを安く売っていました。
      子供心に、スナックを買って、おまけでカードを手に入れるのが筋というものだろうと、その販売方法に首をかしげました。
      今思うと、変な子どもですね。

      銀座通り商店街の村本テントさんは、馬具から始まったお店だと思います。
      今はトートバックなどの手作り商品が当たって、親子で頑張っていますよ。

      友人は馬車にぶら下がって遊んでいましたが、私は馬が可哀そうでできませんでした。
      心やさしいと言えば、聞こえはいいですが、勇気がなかったのかもしれません。

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  3. 山崎 徹

    懐かしい馬橇の写真ですね。小学校低学年の頃、遠い学校まで馬橇に乗せてもらうこともありました。しかし吹雪や真冬の雪深い時には馬も歩けません。子供でしたから、胸まで雪に埋まり身体でラッセルしながら登下校しました。吹雪になると、上級生が下級生を囲み集団下校するのです。野山を駆け回って乱暴な遊びもしましたが、子供同士の助け合いも自然と生まれていました。
    荷物を沢山積んだソリを曳く馬は、蒸気機関車みたいに鼻から真っ白い息を勢い良く吐き、寒い中でも汗をかいてかわいそうでしたよ。
    あの当時、農作業に加えて各種運搬など、季節を問わず馬には本当に助けて貰いました。同じ屋根の下に暮らす農家も多かったです。私はもうすぐ66歳。昭和時代の10年は、良い意味でも悪い意味でも変化著しいですね。  

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    1. 北のお魚大使

      山崎さんの住んでいたところは、吹き溜まりになると、本当に雪に埋もれた状態になったでしょうね。
      おっしゃる通り、大きな子供が小さな子供を当たり前のように助けていました。
      自然を相手に遊ぶと、そんな自然の怖さ、楽しさを感覚的に身につけていますね。
      今は、なんでもダメ、ダメ。
      雪が降った日には多くの乗用車が学校に子どもを乗せて行ったのを見かけました。
      非常に残念な風景です。

      馬が鼻から真っ白な息を出していた様子は、山崎さんの文章を読んで思い出しました。
      高度経済成長時代というのは、なににつけても一生懸命だった時代ですね。

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  4. 島野っ子

    以前の日記にコメント書きまくり、
    申し訳ありません。

    私が小学校1年(昭和47年島野小学校です)の秋まで
    我が家には馬がいました。
    夏場は農作業に(馬車)、そして石炭運び。冬場(馬ソリ)は写真の通り
    スケソを運んでました。

    保育園に行くとき、そして母と飯場から帰るとき
    その馬車(又は馬ソリ)に乗って帰ったものです。
    町には車の数も増え始めた頃、それに乗りながら
    恥ずかしさとは間逆の、得も知れぬ優越感を
    感じてたのを覚えております。

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    1. 北のお魚大使

      島野っ子さん、どうぞ遠慮せずにお書きください。
      私のブログは、ツイッターなどその場限りの会話ではなく、話題の保存版みたいなものです。
      見つけた時に、それぞれの思いを書いていただければ、時を超えてもお話が出来て嬉しいです。

      へぇ~、馬がいたのですか。という事は、運送業ですね。
      恥ずかしさではなく、優越感ですか。
      なんとなくわかる気がしますね。
      馬車が通るとき、私はじっとその姿を見つめていましたから、そんなたくさんの子供の視線を感じたのでしょうね。

      お時間のあるときに、昔の話題を読み返して、またコメントを書いてください。

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