岩内のたらこが素晴らしいという原点は、はえ縄漁によってもたらされました。何が違うの?と一般のみなさんは思いますね。簡単に申し上げると、網で獲ると、魚は海中で死んでしまいますが、はえ縄は針で一匹ずつ獲るために生きたまま漁獲されます。
そんな鮮度がいいのなら、皆なぜやらないのか?それは、仕掛けとなるはえ縄の縄の準備にシーズンが始まる前から、地道な作業が必要とされ、コストがかかるからです。
写真をご覧になって分かるでしょうか?縄を海に入れるときに、それぞれがからまらないように芸術のように円形を作っていくのです。そして、ひとつのザルにいくつもの釣針がついています。ちょっと私の説明では不十分ですが、要するにとにかく手間がかかる作業なのです。
スケトウダラの漁獲が激減し、はえ縄の船も3艘となってしまった事は、このブログでも何度も書かせていただきました。岩内町では、出漁する漁師さんに補助をしてまで、存続させようとしています。一つの文化でもありますし、たら丸君の原点でもありますからね。
女性が多いように見えますが、はえ縄の縄作りは猟師さんの奥様のお仕事だったのでしょうか?
漁に出る以外でもいろいろな方の力があって岩内の町を育ててくれたのですね。
その感謝の気持ちを忘れずに文化を絶やさない努力をする方々は素敵ですね。
縄作りは女性がほとんどでしたね。
おっしゃる通り、かあさん達がコツコツとしかけを作るのです。
とっても根気の必要な作業で、腰も痛くなるようです。
岩内の女性はほんとによく働きます。
岩内の女性が岩内を支えてきたと言っても過言ではないと思います。
わたしの母と祖母は親戚でもあった、大和公園の隣にあった
浅井水産(現在廃業)で写真とうりの仕事をしてました。
この他にイカのゴロを使った作業もしていたと
記憶してます。
保育園の帰りはいつもこの飯場!?(って呼んでたのかな?)に
帰ってました。 なつかしい・・・。
確かに私の祖母も母もそして周りのご婦人達も
明るくたくましく元気に岩内の産業を支えてたのだと
思います。
島野っ子さん、そうですか。
お母さん、おばぁちゃんは、縄作りのお手伝いをされていたのですね。
その技術は素晴らしいものなんですよ。
胸を張って、「私の母は岩内のスケソはえ縄の縄作りをしていた」と言ってください。
今岩内の釣たらこが高値で売れるのは、そんな影の仕事があったからなんです。