岩内町に、遠別荘、近別荘という場所があったのをご存知でしょうか?私たちの世代では、小学校の遠足といえば、遠別荘まで行った記憶のある方も多いと思います。
資産家の梅沢家の遠別荘と近別荘。近別荘は現在も存在し、神社下の井筒歯科医院の裏手にある含翠園とその庭の事を言うと思います。「思います」と表現したのは、歴史に疎い私の事ですので、間違いがありましたら遠慮なくご指摘ください。
写真は、遠別荘跡地にあるアパートを撮ったものです。この奥に広がる敷地が遠別荘。場所は日本アスパラガス株式会社の近くの野束川北側に位置します。庭だったと思わせる人工的に積み上げられた石なども残っている部分もありますが、ほとんどの部分は形跡なく住宅やアパートに変わってしまいました。
薄暗いけども手入れをすれば、素晴らしい庭だったと思います。岩内の繁栄した時代の一つの証でもあったのですが、時代とともに消えていくのは、今の岩内を象徴する現実なのでしょうか。
懐かしいです。幼稚園の時に祖父に連れられて遠足に行きました。家が宮園だったので、幼少時から小学校低学年ぐらいまでほぼ毎日遊びに行っていました。薄暗くて、でも小道を抜けると木漏れ日が差し込みちょっとした広場や小山もあって冒険には十分すぎるくらいでした。胡桃やおんこの木もあって歩きながら花の蜜を吸ったり、夏には提灯(レトロ〜)を持ってみんなで肝試しにいったり…
今ならあんな薄暗いところに子供達だけで遊びに行かせる親はいないと思いますが、私の時代はまだまだのんびりしてましたね^_^大人になってから一度訪れた事がありますが、森と思っていた場所があんまりにも小さくてびっくりした事を覚えています。子供の自分にとっては大きな冒険の森だったんでしょうね。今は札幌に住んでいて実家ももうないので岩内には滅多に行きませんが、大分以前友人の家を訪ねた折に遠別荘を見たくなり行ってみたら宅地になって行って物凄く衝撃を受けました。いつまでもそこにあると思っていたからです。もう、私の記憶の中にしか無いんですね、ちょっと悲しかったです。でもこのブログを観ておなじ時代の同じ記憶を持ってらっしゃる貴方がいてちょっと嬉しかったです。
浜谷様、7年も前に書いたブログに対しコメントをいただき、ありがとうございます。
宮園の子供たちにとっては、遠別荘は遊び場のひとつだったようですね。友人たちが「遠別荘で遊ぶぺ」などと言う会話をよく耳にしました。
幼少期の遠足の場としてもよく使われていましたので、私たち世代にとってはその存在はあって当たり前でしたね。でも、個人の所有物ですから、今のような住宅地になってしまうのは致し方ないものかもしれません。遠別荘に限らず、幼少期の思い出の場が変わってしまうのは寂しいものです。心に残るような場所が岩内にあったこと、それだけでも素晴らしいことですね。そして、その記憶を心にとどめて共有てきる人がいるというのも、素晴らしいことだと思います。
母が買ってきてくれためんこちゃんが美味しかったです。
ありがとうございます。