写真は平成25年10月20日の岩内町雷電の刀掛岩です。岩肌にある樹木の葉が紅葉真っ盛りです。何度かこのブログで、刀掛岩について書いていますが、昔はたくさんの人が観光で・・・としか書けないのが残念です。
岩内町の温泉と言えば、円山地区が開発される前は、雷電地区の温泉だけでした。40年ほど前は、各種会合などは、町内から12kmほど離れたこの場所がよく使われていたものです。
残念ながら今は、ホテル雷電、観光加藤などの温泉宿はすべて営業をやめてしまいました。ここから山奥に入った朝日温泉は、ニセコ連山の端に位置し、秘湯として人気スポットでした。しかし、ここもたび重なる自然災害により、現在は営業しておりません。
口ぐちに昔はよかった、という声が聞こえそうですが、これもまた時代の流れ。人々が温泉宿に求める価値観も変わってしまったのですから、しょうがないですね。私が言えるのは、この刀掛岩の姿は、40年前と変わっていませんよと。四季の変化の刀掛岩、たまには通り過ぎずに、そんな時代の流れを感じながら、ご覧ください。
私も40年前の雷電の賑やかな時を知る者として
淋しい限りです。
この夏も雷電温泉街を見に行きましたが、悲しいかな
ゴーストタウンさながらでしたね。
ホテル雷電も一時何処かが買い取って営業されてましたが、
それも束の間のものでした。
加藤旅館は2008年に行ったのが最後となり、朝日温泉も
自然災害で無残なお姿だと・・・。
あと残念だなと思うのは、トンネルです。
落岩対策とは言え、あの素晴らしい雷電海岸が見れないなんて・・・。
私が岩内を出たのが昭和59年。
様々な物が消えていきました。
島野っ子さん、こんにちわ。
一つの集落がなくなってしまった感じがありますね。
でも、本文でも書きましたように、刀掛岩の景色が消えたわけではないので、
その現実を受け入れるしかありません。
トンネルは、長く立派になりました。
そのおかげで、昔のトンネルとトンネルの間で見える刀掛岩が見えなくなってしまいました。
落岩の危険と同時に、特に冬の交通事故も多い道でした。
島野っ子さんは、目の前を綺麗な海で育ったので、特に海に対する思いは強いようですね。
岩内在住者として、岩内出身の方の、そんな気持ちを大切にしたいと思います。
いろんな面で同感です。
40数年前、札幌に着任してすぐ岩内に行き雷電温泉に泊まりましたら、その夏の社内旅行も雷電温泉でした。宴会、釣り、海水浴、岩場と青い海・・・懐かしいです。本当に賑やかでしたね。
ところで半世紀以上昔、私が岩内の病院に入院中、雷電のトンネル工事現場でマムシに噛まれたおじさんが同室に入院してきました。子供だった私は「マムシのじーや」と呼んでいましたが、今でも頂いた工事現場での写真を見るとおじさんと共に苦労して掘った雷電トンネルを思い出します。
でも、6月に雷電を通りましたが、既にそのトンネルは使われていなかったですね。
刀掛岩は、子供時代を過ごした発足の炭住からも良く見えていました。
今回も素敵な写真をありがとうございます。
八王子の山崎さん、「マムシのじーや」のお話、ありがとうございます。
やはり噛まれると、入院するほどの重症になるのでしょうか。
大小のトンネルは、雷電海岸の名物でした。
トンネルとトンネルの間に広がる碧い海。反対側は断崖絶壁から落ちる滝。
発足の畑が広がる土地から刀掛岩が見えることを最近になって発見しました。
だから、「らいでんスイカ、らいでんメロン」というのですよね。